運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
707件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2017-06-08 第193回国会 衆議院 憲法審査会 第8号

昔だったら、藤原家に乗っ取られるおそれがあるとかそういったこともあったと思いますし、また、これに関連づけて言えば、日本の精神的な帰属意識アイデンティティーそのものでもございまして、多分、一番日本歴史の中で国家意識が明確になったときは蒙古襲来の後だというふうに思っておりますが、その後に北畠親房さんが「神皇正統記」という本を著しておりまして、この中にも、大日本は神国なりという文章で始まっておりますけれども

北神圭朗

2007-06-15 第166回国会 衆議院 内閣委員会 第29号

この事件とちょっと話はそれますけれども、昔にさかのぼると、大阪三菱銀行北畠支店で、梅川昭美というのが銀行の中に立てこもって本当に鬼畜のような振る舞いをしたというのは、これはまだ二十八年ぐらい前でしょうか、まだ記憶に本当に生々しく残るわけでありますけれども、あのときも最初にたしか犠牲になったのは警察官の方だったんですね。

渡辺周

2001-11-06 第153回国会 参議院 内閣委員会 第6号

政府参考人漆間巌君) 実際に銃を使ったという意味では、まさに委員も御指摘がありましたように、三菱銀行大阪のですね、北畠支店、このケースで実際に使っております。これはまさに、そのころはSATという名称はございませんから、しかも、これは函館でのハイジャック事件以降、このSATという形で表ざたにしたものでありまして、ただしかし、そのときには大阪府警には特殊部隊がございました。

漆間巌

2001-11-06 第153回国会 参議院 内閣委員会 第6号

松村龍二君 先ほど、大阪北畠支店の場合はSATチームのできた後ではないという話がありましたが、今広島という例がお話あったんですが、広島は、私、さっき申し上げた昭和四十五年のシージャックを撃ち殺した例、これは当然にSATのはるか昔の話だと思うんですが、今のお話はあれですか、ことしのバスジャックの話ですか。

松村龍二

1993-05-13 第126回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

実はこの一族箱守一族と言うわけでございますが、NHKテレビ太平記がございまして、あの「太平記の里」という報道に、茨城県の関城町関舘というところなんですが、大きく取り上げられまして、南朝を支持している一族で、楠木正成時代、同じように北畠親房等中心にして戦ってきた一族なんです、箱守一族というのは。ちょうどこれを私調べている時期にそこらが表に出てまいりました。

大出俊

1993-04-22 第126回国会 衆議院 科学技術委員会 第7号

戦前は確かに皇国史観があって、南北朝の問題で北畠親房神童正統記を書いた、これは我々も小学校のころに教えられたことだからよくわかっている。戦後においては、そういうものの歴史的価値はあるにしても、むしろ土塁であるとか、くるわであるとか、あるいは馬入れであるとか、あるいは平城であるとか、そういうものが大事であるならば、なぜ一体それに対してもう少しまともな指導ができなかったのか。

竹内猛

1993-04-22 第126回国会 衆議院 科学技術委員会 第7号

城そのものは、戦国時代の末、常陸を領しておりました佐竹氏が関ケ原の戦いの後に、秋田に国がえされることに伴いまして廃城となっておるわけでございますが、この間、南北朝の動乱期には、南朝方につきました小田氏が北畠親房を迎えたために、関東における南朝方の中心となったわけでございまして、この城で北畠親房神童正統記などを執筆したということが著名であるわけでございます。  

若松澄夫

1993-03-05 第126回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

それから小田城中心とした南北朝の歴史北畠親房がそこへ入って神童正統記を書いて、途中でそこを追い出されて大池の方へ行って、それから関城町の関城へ行った。そこで神童正統記を仕上げたという話もあるし、その周辺には大宝という城もある、城址があります。こういうのが一連の南北朝の歴史なんです。  それから、そのほかに鎌倉時代歴史として、宝篋山というところにはいろいろな大きなお寺もあります。

竹内猛

1993-03-05 第126回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

こういうところに中央から、文化財だと言ったところで、北畠親房南北朝のときに神童正統記を書いたところなんだと幾ら言ってみたところで何もないじゃないですか、これは。それはきのうやきょう僕が言っているのじゃない。十数年前からその話はしている。それに何らの手をつけないというのは一体どういうことか。  

竹内猛

1992-04-02 第123回国会 衆議院 科学技術委員会 第5号

五番目は、小田域だけではありません、北畠親房小田城だけで生活していたわけじゃないんだから、その隣には大池があり平沢観音があり、それから関城という町には関の域がある。そこにも土塁があるし地下壕もある。それから下妻には大宝城という城があって、ちゃんとそこはうまく管理をしている。一番の中心小田城がいい加減なことになっているから、よそから筑波山へ来て小田城を見に来ても、何だこれはと。

竹内猛

1992-04-02 第123回国会 衆議院 科学技術委員会 第5号

それは、つくば小田というところに南北時代北畠親房という人が神童正統記を書いた小田城というのがある。これは昭和十年に重要文化財指定をされ、戦後、二十五年に文化財保護法によって指定をされた。そして六十年には、合併前の筑波町が、教育委員会がこれに対して管理規定というか管理方針を決めた。

竹内猛

1992-04-02 第123回国会 衆議院 科学技術委員会 第5号

吉澤説明員 史跡小田城につきましては、先生指摘のとおり、昭和十年に史跡指定されておりまして、これは南北時代北畠親房神童正統記を書いたということで、南朝の東北への支配ということで、非常に重要な遺跡ということで昭和十年に指定されておりまして、昭和二十五年の文化財保護法で引き継がれて史跡になっているというものでございます。  

吉澤富士夫

1992-03-12 第123回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

これで全国の人々が、北畠親房神里正統記だといって行ってみたら、何だこれは。僕らもよく学校のころに北畠親房神童正統記というのは試験に出されたから、あこがれてよく知っています。ああここかと行ってみれば原っぱだ。それで文化財文化財だ、何を言っているんだ。  昨年は、井上文部大臣は、やはり私有財産を押さえることについては慎重でなければならぬとちゃんと御答弁がされている。

竹内猛

1992-03-12 第123回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

鳩山国務大臣 文化財をめぐって権利の調整というのは大変難しい問題でありましょうが、その辺はきちんとしなければいけないということ、そしてまた今先生おっしゃったように、確かに小田城という文化財については今回の先生の御質問通告で初めて知った程度でまことに申しわけありませんが、北畠親房神里正統記、こう聞けば、なるほどそうか、こう思いますので、しっかりとした保存とか復旧とか、そういうことがなされなければいかぬなとは

鳩山邦夫

1991-03-12 第120回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○遠山(敦)政府委員 つくば市の小田城のことでございますが、先生お話がございましたように、この小田城は、南北時代の十四世紀に北畠親房が入城しまして、関東におきます南朝方の拠点となったところとして有名であるわけでございます。  この小田城跡は、昭和十年六月七日に当時の史蹟名勝天然紀念物保存法規定によりまして史跡指定されました。

遠山敦子

1991-03-12 第120回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○竹内(猛)分科員 私は、つくば市にありますところの、南北時代北畠親房神皇正統記を書いたということで大変有名な城跡があります。小田という城でありますけれども、この城の保存について何回か質問してきました。けれども管理、規制だけは厳しくやるけれども住民の声を聞くということについてはなかなか、まことにお粗末だ、こういうことでは非常に困るという立場から質問します。  

竹内猛

1991-03-12 第120回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

それから大池という池がありまして、この大池北畠親房神皇正統記を書いたと言われている。なお平沢観音、それから関城町という町がありますがここに関城という城がある。ここもまた神皇正統記を書いたんだ、そこには地下壕もあるし土塁もある。それから下妻市には大宝城というお城がある。こういうのが集まってこの地域の文化をつくっている。小田城だけじゃない。

竹内猛

1990-06-19 第118回国会 衆議院 環境委員会 第7号

これは、南北時代北畠親房がそこで神皇正統記を書いたという由緒のある、歴史のあるお城です。今、城は焼けてありませんが、昭和十年、天皇制憲法のもとで何とそこを国の指定文化財にしたのですね。それで、本来、指定文化財にする場合には、その地域を守ってきたその地域人たちがこれを残していこうじゃないかということで要請をして、地域一体となってやるべきものでしょう。

竹内猛

1988-06-07 第112回国会 衆議院 大蔵委員会金融機関の週休二日制に関する小委員会 第1号

        議官      吉川 共治君         大蔵省銀行局長 平澤 貞昭君         文部省初等中等         教育局小学校課         長       熱海 則夫君         農林水産省構造         改善局農政部農         政課長     野田 哲也君         通商産業省産業         政策局消費経済         課長      北畠

会議録情報

1988-06-07 第112回国会 衆議院 大蔵委員会金融機関の週休二日制に関する小委員会 第1号

北畠説明員 私どもの方で主に担当しておりますのは、信販会社等会社が発行しておりますところのカードでございます。  クレジットカードの全体の発行主体といたしましては、一つが百貨店とかデパート等のいわゆる流通系カードでございます。それから二点目がメーカー系カードと申しまして、これはいわゆる製造業者電機製造メーカーが発行しているようなカードでございます。

北畠多門

1988-05-19 第112回国会 参議院 法務委員会 第7号

説明員北畠多門君) お年寄りの問題につきましては、具体的にセールスマンが家庭を訪問した場合において、そのセールスマン信頼の置けるセールスマンかどうか、あるいはそのセールスマンが属している会社信頼の置ける会社であるかどうかということについて公的機関が、この会社はいいですこの会社は悪いですということを言うに当たっては、やはりちょっと問題があるかと思うわけでございます。  

北畠多門

1988-05-19 第112回国会 参議院 法務委員会 第7号

正雄君        法務省刑事局長  岡村 泰孝君        法務省人権擁護        局長       高橋 欣一君    事務局側        常任委員会専門        員        片岡 定彦君    説明員        防衛施設庁労務        部労務管理課長  高倉 博郎君        通商産業省産業        政策局消費経済        課長       北畠

会議録情報

1988-04-21 第112回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第4号

        局牛乳乳製品課         長       窪田  武君         農林水産省畜産         局食肉鶏卵課長 太田 道士君         農林水産省畜産         局流通飼料課長 田家 邦明君         通商産業省産業         政策局商政課長 塩谷 隆英君         通商産業省産業         政策局消費経済         課長      北畠

会議録情報

1988-04-13 第112回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

そこはかって北畠親房が「神皇正統記」を書いた小田城の堀なのです。その堀のところに菊池作一郎という方がいらっしゃいます。そのほかにも鴻巣義男という人がいらっしゃいますが、六十年六月に、家が古くなったからその家を建てかえようというわけで建てかえようとしたところが、県あるいは町の教育委員会から、あるいは国からも来たのでしょう、文化庁の方からの指示があって調査が入ってきた。

竹内猛

1987-10-13 第109回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第4号

北畠説明員 私ども通産省関係も、通達を発出する際におきましてOECDの八原則を十分踏まえた形になるようにということで、割賦販売審議会の場におきましても御議論をいただいて今回の通達の発出、こういうことになったわけでございますし、さらに、その内容について大蔵省の方とも十分協議もしまして、大蔵省関係信用情報機関との間でいわゆる指導なり監督上のそごがあってはいけないということで十分協議をいたしまして

北畠多門

1987-07-29 第109回国会 衆議院 法務委員会 第2号

        国税庁税部法         人税課長    買手屋孝一君         国税庁調査査察         部調査課長   川端 健司君         厚生省健康政策         局医事課長   阿部 正俊君         農林水産省食品         流通局商業課長 中村 英雄君         通商産業省産業         政策局消費経済         課長      北畠

会議録情報

1987-06-04 第108回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

説明員北畠多門君) 具体的に先生の御指摘のハーフ型でございますけれども、今のものが使えるかどうかについてちょっと判断はしかねると思いますけれども、私どもの方の経験的な感じから言えば、通常保管状態あるいは通常使用状態と、こういうことであれば使えるんではないかなという感じはいたしておりますが、個別の一つ一つについてお答えをするというのはちょっと難しいかなという感じがいたします。

北畠多門